
クセっ毛の髪と心の一部がクリクリひん曲がってるけど、元気に健やかにオッサンまで成長できたShinです!
2020年の梅雨が例年より長いと聴き、クセっ毛の髪がまとまらない期間が長引きそうな今日この頃。
みなさまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうかね!?
今回は、偶然飛び込んできた「命」について考えさせられる情報があったので、この思いを書き留めておこうと文字を打っています。
先日こんなツイートをした。
何もなく生きていれば安全圏にいられます。
そして、人生を振り返ったときに「あぁ何も残ってなかった…」と思うのかもしれない。
「人生やりなおせるとしたら?」的なこと聴かれることあるけど、自分はもう戻りたくないです。ズタボロにされてきましたが、振り返ると色んなもん落ちてますよ♪ pic.twitter.com/7PgJwCClpk
— Shin Komuro (@super_skrock) July 10, 2020
気持ちが落ちてるなんてこともないが、ここ最近は色々と“生き方”とか“人生”について考えたり振り返ったり、様々なひとの在り方などを眺めてたりして自分なりに感じることがある。
冒頭のクセっ毛の話も、ちょっとしたツカミのためのオチャラケでもあるし、今回の本題にも繋がることだ。
ということで、ちょっと長めだがお付き合いいただきたい。
本来の問題はどこにあるのか
でもね、今まではずっとクセっ毛が気になってヘアアイロンをかけない日がないくらいにクリクリパーマをなんとかサラサラに見せようとしてたんだけど、もうそういうのやめたのよ…
結局、ヘアアイロンしたところで理想のスタイルになったこと一度もなかったし、、そもそも理想のスタイルって何かもハッキリしてなかったんだよ!
だって、、、
ただ単純に「カッコよくなりたい」とか「ヘンに見られたくない」とか「笑われたくない」とか、そんな理由なんだからさ。
抽象的すぎるでしょ!? ww
“どうカッコよくなりたいのか”
“どう見られたいのか”
“誰に好かれたいのか”
って質問に対して、明確に答えられなきゃダメなわけです。
で、前途の質問じゃないけど、じゃぁ具体的にどんな髪質になりたいのかってことを自分に問うてみたの。
そうすると出てきたのが、、、
「白人(アメリカ人)のようなパーマかかってるけどストレートでサラサラなスタイル」
「○○のドラマのときの長瀬智也の髪型」
「○○のアルバムジャケットのヒムロック」
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とか、そんなんばっか!
アホかって感じでしょ・・・。
一番目なんて、そもそも人種が違うっていうね!ww
見た目は大事よ。僕は、身嗜みはとても重視してます。
性別関係なく、清潔感ないひとは近寄りたくないです。
楽器も見た目がカッコよくなきゃいらないし、乗らないけど車も性能とかより見た目が一番大事。
異性選びに関しては完全に見た目から入ります。
しかし、自分の場合は劣等感を覆い隠すために外見をよく見せることを利用してきた点が強かったと感じるんだよね。
それは問題解決になっていない。(これは自分のはなしだ)
凡人である自分が恥ずかしいと心のどこかで感じながら生きてきて、周りのひとよりちょっとでも優位に立てることがあればそこでイキる。
でも、自分よりスゴイひとたちの前では恥ずかしくてしっぽを巻いて逃げる。
自分の人生を悲観的な目で見て振り返ってるわけではないのだが、しっかりと自分自身と対話して深堀りしていくと、こういう一面が足かせとなっていることがわかってくる。
これって気づくのにかなり時間がかかったけど、気づけただけ僕は幸せ者だと思っている。
生きる意味ってなに!?
スピリチュアルは嫌いではないけど、そういう話じゃないよ。
最近読んだ本でいいのがあったので内容にもふれながら今回のテーマともリンクさせて紹介していきたいと思う。
その本がこちら。
GIG WORK(ギグワーク) /長倉 顕太
2020年は、毎月ごとに1ヶ月に読んだ書籍を紹介するという記事をアップしているのだけど、この『GIG WORK』という本も「7月に読んだ本のまとめ」としてその中で紹介する予定になっているが、今回のテーマにも関係してくるようなメッセージを受け取ったのでここで書きたいと思う。
まず「ギグワーク」とは、「ギグエコノミー時代を生き抜く新しい働き方」のこと。
“ギグ”という言葉は、もとはジャズミュージシャンたちが使っていた言葉で、ライブハウスまわりをする単発の演奏のことを言う。
僕の好きな氷室京介さんが所属してたBOØWYというバンドのツアータイトルにも「GIGS」というネーミングを使っているので、ちょっと身近に感じるひともいるかもしれない。
で、「ギグエコノミー」ってのは、いわゆる様々な形で労働することを言っていて、隙間時間を活用したり本業とは別にサイドビジネスやったり、複数の企業間でプロジェクトに携わることもあるだろうし、あとは例えばウーバーイーツとかも然りね。
まぁ、本当の詳しい内容については興味のあるひとが各々で手に入れて読んでもらいたいんだけど、この本に書かれてた一文でいくつか刺さったものの中に「何に向かって生きていけばいいのか」という内容に触れているところで、こんな一文があったのね。
「自分を還元する」 「重要なのは「できること」であって「やりたいこと」ではないということ」
まさに今の僕にはドンピシャで突き刺さってきたんだけど、突き刺さらないひともいるだろうね、それは各々の人生のタイミングだったりするから。
僕は最近強く自分の生きた証を残すことについて考えることが多くて、それをどのように実行していくのかというのが課題だった。
そして、この言葉に感化された節もあり、こんなツイートもしている。
大切なもの守りたきゃ、"やりたいこと"じゃなくて、”できること"をやらなきゃね♪
今日もギター弾きました🎸
歌の練習しました🎙明日も同じことやるよ🤗 pic.twitter.com/ly1Z3aSaEN
— Shin Komuro (@super_skrock) July 16, 2020
著者の長倉 顕太さん、完全に言葉お借りしてますわ…
我が物顔ですいませんねww
自分の人生、よくよく振り返ってみるとそうだよね!?
音楽活動では食べていけないから生活費を捻出するために不本意なアルバイトをしたり、ネクタイしめてスーツ着て満員電車に揺られて出勤したりして、通った先で得た経験とスキルが僕自身を生かしてくれているのだ。
それは「やりたいこと」で培ったものじゃなかったってことがポイント。
しかし、「本気でやりたくない」ことではないよね。それだとそもそもが続けられないから身につかない。
で、その不本意なことをやりながら、一方ではなりたい自分を目指して積み上げてくことがある。
だから、自分の「できること」で世の中に還元することは絶対にあるってこと。
すなわち、「自分の生きた証は絶対に残せる」ってことになるわけだ。
どんな選択も正解かどうかはやったあとしかわからない
これは、ルシュカという女性アーティストの言葉で、彼女がパーソナリティーをつとめるVoicyという音声メディア内の『英語をまなばナイト』というチャンネルで語っていた。
ひとの生活は日々の瞬間の積み重ねで、その一瞬一瞬が選択の連続だ。
その選択が正しいかどうかの結果はやったあとにわかること。
このルシュカさんが自らの体験をもとに、答えなどわからないがチャレンジすると決断したことに対する思いを語っている。
めげたり挫けそうになりながらも最後には絶対にこの選択は正解だったという結果にするという思いで取り組む姿勢。
自然の摂理や物理的に不可能なことなどを除けば、自分が選択した道が正解か不正解かは自分で決められるということだ。
しかもこの回の配信が12月30日で僕の誕生日っていうこの偶然がスゴイ!
「ルシュカ僕のために言ってる」って勝手に思ってるからww
そのことを話してる回はこちら。最初のタイトルコールのセクションで話してます。
↓↓↓↓↓
ルシュカ:@luschka_nico
着飾る前に実力をつける
これは極論みたいな話になっちゃって、伝えるのが難しいところなんだが…
ステージ衣装やメイクやヘアスタイルも魅せるためには大事な要素だし、大切にしたいんだけど、、究極Tシャツとジーパン(今やジーパンは死語か?)でも実力で凌駕できる存在を目指したい。
これはまた抽象的だし、「じゃあ、坊主あたまにすりゃいいじゃん」とか「絶対メイクすんなよ」とかっていうのが出てくる可能性もあるからめんどくさいし伝え方が難しい。
前途したクセっ毛が嫌だった云々の話に戻るが、自分の自信のなさをそういったもののせいにすり替えてないかなって思ったんだよね。
先ほども言った「できること」をやらずに、小手先のごまかしでその場をしのごうとする姿勢が日々の生活で継続されて、そちらが当たり前の状態になっていたってこと。
一流たちと仕事していく決意
僕の目標は、師匠のような一流のアーティストたちと当たり前に仕事していく存在になること。
それを達成するには、今までの僕じゃ100%ムリだ。
そのためには、技術をもっと追求していかなくてはならない。
当たり前のことを当たり前にこなす技術を身に付けないといけない。
ここでは細かくは書かないが、僕はそのための特訓をしている。
この特訓を継続しつつ、途中で分析や改善もしていかなくてはいけないので、ちょうど今のタイミングが一旦分析するころかなと思っている。
必ずや一流たちと同じステージに上がり、一流たちのほうから引く手数多に声が掛かる存在にまで自分を高める覚悟だ。
僕も自他共に“一流”と認めらていることになる。
「命の教育」という映像を見た
長々と書いてきたが、ここからが本題みたいなもの…w
ホントこの記事を書いてるこの日(ついさっき)に、TikTokで流れてきた動画で目に止まったものがあった。
それは、「命の教育」というテーマで放送した『情熱大陸』という番組の、その放送の一部を投稿者が切り取ってアップしていたのだが、この内容が今日のこの日のこのタイミングで妙にソワソワした感覚になって、この放送を観た。
『情熱大陸』という番組はすでにお分かりのとおりかと思うが、1998年から2020年現在も続いているドキュメンタリー番組。
「命の教育」というテーマの回は2013年に放送されたもの。
「命の教育」を続ける高校の教育現場の密着映像
この回は、福岡県の高校でニワトリを飼育して解体からその命をいただく(食べる)ということまでを生徒に体験してもらうという授業に密着している。
実際に、生徒が一人一羽ずつ受精卵からニワトリを飼育していく。
なかには、孵化できない命もありそういう現実も生徒たちは体験する。
受精卵の段階でそれぞれが名前も付けて面倒を見ていくことになるのだから、特別な感情が芽生えないわけがない。
ニワトリに成長していく過程で、まるで母親の腕に抱かれて眠るかのように、育ててくれた生徒たちに抱かれながら安心してスヤスヤと眠る仕草なども見られて、ハッキリいって「かわいい」と思ってしまう。
そして、3ヶ月後解体のときがくる。
もちろんそこにもカメラは密着していて、成長の過程ではあんなにいい笑顔だった生徒たちの表情が変わっている。
このシーンで流れたナレーションのセリフが印象的で、、、
「ニワトリは喚きもしなければ暴れもしない。大切に育ててくれた生徒の手の中で安心しきっている。」
「心の痛みを、生徒たちは忘れない・・・。だからこそ、“いただきます”と口に出せる。」
というもの。
そして、生徒たちは実際に命をいただく(食べる)ことになる。
対価を払って自らの手を汚してないだけ
もうちょっと続くよww
「命の教育」の映像を見て、もうひとつ過去に見た映像の内容を思い出したので紹介したい。
Amazonが展開する動画サービスのプライム・ビデオのコンテンツに、『今田×東野のカリギュラ』という番組が配信されている。
タレントの今田耕司さんと東野幸治さんがMCをつとめるバラエティ番組なのだが、その中の企画で「東野、カラスを食う」というのがある。
東野幸治さんがプロに同行して実際に鹿や猪を狩猟して「生きるとは何か?」をテーマにしているもので、そのシリーズにカラスによる害獣被害の多い地域に行ってカラスの狩猟をして食べるというところまでを放送している。
その回で東野幸治さんに付いたプロの狩猟は女性ハンターで、ジビエ料理店も経営されていて狩りをした獲物をそこで調理して出している。
鹿や猪も狩猟しているが、カラスによる被害が日本一多い地域で被害を防ぎ、しかも美味しく食べられることも知ってもらいたいという。
そんな女性ハンターがその回で愛護についての考えを述べていたのだが、、、
「(生き物の命をいただくことに文句をいうことについて)自分がお金という対価を払って手を汚さないことを選んでいるだけなのであれば、それは愛護ではない。」
と言っていたのを思い出した。
命をいただくありがたみを身近で感じているひとのブレない意見だったなと思った。
最後に
久々にこんな長文書いて、オッサン目がショボショボしとるわ…w
昨日まであった当たり前が突然姿を消してしまうという出来事が立て続けに飛び込んでくる。
本来は、昔からあったんだけども我々が情報をキャッチできるスピードが格段に速くなっているせいで、歓迎したい変化も受け入れがたい変化も一瞬にして我々の目の前の景色を変えてしまう。
今は情報もデータベースで保存できるので、思い出にも瞬時にアクセスができる。
もう存在しないひとの笑顔や声も簡単に呼び出せるなんて素敵だ。
ほんの1〜2ヶ月前かな、、それこそ『ごくせん』というドラマを観かえしていた。
何度も観てる『クローズZEROⅡ』という映画も、そろそろまた観たいなと思っていた。
『サムライ・ハイスクール』というドラマを観たときに、「スゴイいい俳優だな、声の使い方が特にいいな」と思い気にかけるようになった。
『オトナ高校』というドラマには、当時知ってるひとが関係者でいたこともあり観たことがある。
30歳という年齢はたしかに人生まだまだこれからってところだ。
しかし、僕の故郷にも1匹可愛いメス猫がいるが、あぁいう世界で生きてるひとたちっていうのは、猫のような動物たちと同じく一般社会でとる寿命の長さとは違うのかもしれないなと思った。
アスリートの世界もそうだよね・・・。
動物の歳のとりかたが人間の何倍ものスピードで進んでいくのと同じで、アスリートや芸能の世界のひとたちにとっての一年や一歳という年月はそれ以上のものがあるんだろう。
だから偉いとかじゃなくて、住む世界が違うってことだね。
僕は30歳から本格的に音楽学校に通ってイチから学び始めた。
たしかに、もっと早くから学んでおけばよかったと思うし、時間をムダにしたとも感じている。
しかし、もう過去には戻れないので(戻りたくもないし)、こっからの人生を自分でムリクリにでも正解にもっていってやろうと思う。
さっきも出てきたとおり、人生の選択の答えは自分で決められるってことだ。
会いたくなったらデータにアクセスしたらすぐに呼び出せる。
でも、ポッカリとあいた心の穴を埋める作業はとてもとてもアナログな作業の繰り返しである。
早かれ遅かれ、人間はいつか死ぬ。
ただただ、自分の「できること」をやっていこうと思う。
Shin(@super_skrock)