
「いじめってなくならないんですか?」
って質問されたら、あなたはなんて答えます??
俺の場合は、「なくなんないね!」って答えます。
俺は、いじめられた経験も、いじめた経験も両方してます。
いじめられた経験の仕返しを、自分より明らかに弱いと分かる存在にぶつけてました。
まぁ、やがてその仕返しを、自分が歯向かえない相手からされるということになるだけなのですが、いじめに関しては双方の立場を味わったことがあります。
いじめる側いじめられる側というのは、どちらも中学くらいの話なんですが、当時感じてた想いを振り返ってみると、、、
いじめてるときってのは、一緒になって誰かひとりを標的に攻撃することに安心した気持ちとか、自分は大丈夫っていう安全な場所にいられる感覚でしたね。
一方、いじめられてたときというか、標的の矛先が俺に向いてた時期ってのは、「なんで俺だけこんなめにあわなきゃいけないんだ」って想いで、胃が痛い毎日だったような気がする。
いじめる側に問題があって、いじめられてるひとのせいではないっていう考え方もありますが、いじめられてたときの俺に関しては、今の俺から言わせりゃ”隙だらけ”でしたね。
いじめっ子どもが入り込んできて、テリトリーを荒らしまくっていく隙を与えていた結果、いじめられることに繋がったと思ってます。
そりゃ、今の俺の知識や意識でその問題に対処できるなら、悩むのが時間のムダ使いなくらいにちっぽけな問題ですが、その当時はそれが全てでしたからねぇ〜。
俺は、ガキの頃から比較的背が高くて、常に背の順でもクラスの後ろの方にいるヤツだったし、今もそうなんだけど、何やるにしても基本態度がデカく映る傾向があるww
まぁ、その当時は悩んでましたよ〜!
「目立ちたくない!」
「背が小さくてひ弱だったら、かえって同情されていじめられないのに・・・。」
とか、真剣に考えたときもありました。
今思うと、そんなもんシャラクサイっすけど。
でもね!
そのくらい、いつの時代も子供って、“今そのとき”を生きてんだなって思うんですよ。
よぉ考えたら、こんくらい“今そのとき”を真剣に生きられるなんて、なんてステキなことよのぉ〜と思うのは俺だけですかね!?
しかし、あれだけ「目立ちたくない!」って思ってた時期があっても、結局自分が目立つことをする職業を希望して、その道に進んでるんですから、人生のルーツってもんはこういったとこに隠されてんのかななんて思う今日この頃です。
だって、アーティストなんて目立ってナンボみたいなとこあるでしょ!?
ステージのセンターに立つようなヤツが、華がないようじゃねぇ〜。
でも、「いじめをなくしたい!」っていう情熱を胸に、教育とかの現場で一生懸命頑張ってらっしゃる方々のことは、素晴らしい志を持った方々だと思っていますよ。
俺の見解としては、いじめられるヤツには、いじめるヤツを引き寄せる隙があるってこと。
で、いじめられるヤツには、ひとを惹き付ける魅力があんのかもしんないってことかな。
まぁ、お子さんがいらっしゃるような方々にとっては、なんとも反発をくらいそうなことを書いてきましたが、、、
どうぞ、全て受けて立ちましょう!www
Shin