
ここ最近、「生きてるだけで丸儲け」や「死ぬこと以外はかすり傷」的な生き方で日々を過ごしているShinです!
今回は、よもやま話と言っていいのか何と言うのか、、ふとあるひとのことを思い出したのをキッカケでお話をしたいかなと。
本当に偶然LINEのトーク履歴を遡ることがあって、一番最後(一番下)のトークを見た。
このトークについては、その思い出したというあるひととのやりとりではなく、そのひとと共通の友人とのトークだ。
思い出したあるひとをAさんとして、共通の友人をBさんとしよう。
実はAさんは、もうこの世にはいない。
Aさんが亡くなったときに、僕は顔を見に行くことができず花を贈らせていただいたのだが、Bさんが会いにいってきたことの報告をしてくれたトークだ。
トークは、2015年11月下旬のもの・・・
Bさんからのメッセージはこんな感じだった…
「Aさんに会ってきたよ。
いっぱいいっぱいお礼してきた。
穏やかな顔をしてた。
Aさんの生き様はかっこいいよ。
次会うときに、私たちも命を使い倒して精一杯生きたよ!ってAさんに言えるようにね。
お花ありがとう」
僕からの返信は以下…
「最近やけにAさんの顔をSNSとかで見るようになってて、その矢先だからなぁ〜。
あのひとは、常に前にいたし優しかったしねぇ。
僕が仕事辞めるときにAさんに言ったら、
「やりたいことやっといた方がええで〜。いつ死ぬって言われるかわからんから!ホンマビックリやでww」って言ってくれたんだよ。
生きることだけじゃなくて、死にざままで見せつけてくれるとは、さすがだね!
負けてられないな^_^」
Aさんは脳に腫瘍ができて闘病生活を続けていたが、一時期人前に立つことができるようになるまで回復したかと思ったけど、結局旅立っていった。
僕もお世話になったひとりだし、Aさんのことを慕うひとは本当にたくさんいて、周りに常にひとがいる人気者だった。
関西出身の方でもあったので明るいキャラとよく笑うビッグスマイルが、いつも場を和ませてくれた。
Aさんのようになりたいということではなくて、、、
生きてることが相当ラッキーなことなんだなと感じるわけだ。
生きてくって嫌なことのほうが多いのかもしれない。
実際、多少なりともストレス溜まるし窮屈さも感じるし、顔も見たくないくらい嫌いなヤツもいる。
いつも土俵際で踏ん張ってきたものが、「もういいかな・・・」って自ら足を外に出してしまいたくなることが年々増えているのも確かだ。
他人には
「やりたいことがあって羨ましい♪」
なんて言われても、、、
その言葉が褒め言葉のように捉えられてた自分が、今度はなぜか恥ずかしさや後ろめたさみたいな感情も抱くようになってきている。
人生はパッケージだ!
出来事のひとつひとつを断片的に見れば、「辛い」「悲しい」「厳しい」「キツイ」ってことがほとんどかもしれない。
それを映画のフィルムを編集するかのごとく、チョキンチョキンとカットして切り離して、、残ったものだけをくっつけることができたとしても・・・。
その映画の中身はスッカスカな内容で見る者に感動を与えないのかなと。
僕は正直、結局最期は後悔して死んでくと思う。
「もっとあ〜しとけばよかった」って思うことはつきまとうでしょ。
しかし、「これだけはやっておかないと死んでも死に切れない」ということは絶対にやっておこうと思う。
今日は、そのための大きな一歩を踏み出した日だった。
そのタイミングで、このLINEのやりとりを見る機会があった…
Bさんのメッセージにあったように、「命を使い倒して精一杯生きたよ!」って言える自分になってるかっていうのは胸を張って「そうだ!」とは言えない。
でも、、、
「今日の僕は間違いなく生きたよ」って言える一日だったことは確かだ。
Aさん、申し訳ないねまだまだショボくて・・・。
いつかそっちにいく頃には、自慢できるもんのひとつはこしらえとくんで♪
Shin(@super_skrock)