父親の誕生日を祝うため故郷に帰省していた。
みなさんにも故郷があるのならご理解いただけるかと思うが、現実の時間は流れていても己の心は“その地”に置いてきているもので、再び訪れるといい歳こいたオッサンもヒザ小僧を擦りむいて鼻垂らしながら走り回ってるクソガキの頃にタイムスリップする。
当時遊んでいた公園はマンションに変わり、自分の家のように上がり込んではゲームをやったりお菓子を食べたりしていた家がなくなっていたりする。
時代は進み便利な世の中になった。
ガキの頃にこんなのがあったらいいなぁと思っていたものが今では目の前にあり、不可能だったことを可能にしてくれている。
ガキの頃はそれはそれで良かったのだが、僕はいつも早く大人になりたいと思っていた。
所詮ガキは大人には敵わないと思っていたし、大人になりゃ何でもできるようになると思っていた。
大人に憧れるひとりの少年にとって、父親というのは、いわばスーパーマンのようなヒーロー的存在だった。
家庭では絶対的な権力を持ち、力持ちで頭も良い。
僕は、ガキの頃プラモデルを最後まで完成させられた試しがない。
今のお子さんたちには馴染みがないかもしれないが、テレビやビデオの配線などもロクに繋げられない不器用なガキだったし、今でもその名残はある。
父親はそういったことも全て器用にこなし、まさに何でもできるひとだった。
鼻垂れの少年も、1つずつ年齢を重ねる度にカラダが成長していき、早く大人になりたいという思いからなのか身長だけは大人たちと渡り合えるくらいには、比較的早く到達できた。
少年の心がいつも背伸びしていたからなのか、背の高さくらいはその思いに忠実に応えてくれたのだろうと勝手に解釈している。
大人のカラダになった不器用な少年にとって、憧れのヒーローはいつしかライバルとなり、絶対的権力にも牙を向けることも多くなった。
己の中で、あのライバルを倒すことで本物の大人になれると思っていた浅はかさである。
将来の進路もあえて父親の就いていた職業とは全く違う道を行くと決め、いわゆる親の敷いてくれたレールの上を歩くことを断固拒否し続けていた。
そんな不器用さ満載な時期は、いつの間にか周りの大人たちのことを全員敵だと思っていたくらいだった。
「オマエらなんかに何が分かる!」
「オマエらよりもかっこいい大人になってやる!」
勝手に敵を作ってはむかっていき、戦う気もないひとを無理矢理自分の有利なリングに上げ、打ち負かしては優越感に浸っていた。
早くなりたかった大人という存在より、何かしらで上にいけたときにきっと喜びがあるもんだと思っていたが、日々のジレンマが解消されることなど全くなかった。
大人にケンカを売る少年のピノキオのようにグングン伸びてく鼻っ柱は折られ、奈落の底に突き落とされて、そこからようやく人生にとって本当に大切なものを学ぶことになる。
落とされてから這い上がろうとするプロセスの中で気づかされたことは、敵わないと思っていたヒーローからガキの頃の僕はすでに生きるということを学んでいたということである。
僕は、ヒーローである父親とは違う人生を生きていたつもりが、そんな彼のような存在になりたかっただけだった。
何者かになろうとすれば、そこには競争心が芽生え、嫉妬や妬みの感情が生まれる。
唯一無二の自分であれば、誰かになる必要などなく、お互いを受け容れられる。
僕は、唯一無二の存在になったとは言わないが、少なくとも何者かになろうという思いからは脱却できたような気がする。
僕には僕なりの気づきの旅があったように、父親には彼なりの人生の道草というものがあったようだ。
そんなことを経て今思うことは、一年でも多くお互いの誕生日を祝っていけたらいいねってこと。
親父、誕生日おめでとう!
あなたはもう僕のライバルではありません。
また来年も一緒に祝おう。
Shin(@super_skrock)