
一期一会の人生の中で、相思相愛というか妙に波長の合うひとと巡り合うことは誰しもあるんじゃないかと思う。
「ウマが合う」とかね、、、
あとは何ていうんだろう・・・。
そういうひととは話してても疲れないし、みなまで言わんでも分かってくれる節があるから非常にラクってところもある。
なんなら何も喋らなくてもその場がもってしまうくらい一緒にいてラクな存在にも感じる。
これが、逆に波長が合わないひとだとホントに疲れる・・・。
まずこっちが言うことは一言では理解してもらえない。
まぁ、早い話が元々全く違うタイプの人間だから当たり前なのだろうが。
過去に、最高に波長の合わないボーカリストとバンド活動をしていたことがある。
結果、半年くらいで活動に終止符を打つことになったのだが、、、
俺にとっては永く感じたし、別れる直前はハッキリいって大嫌いな存在になっていた。
そのボーカリストにもそれなりのキャリアがあったので、それなりのプライドもあり、こちらもできるだけ尊重したかった。
にしても、、、
やはり音楽の第一線でメシ喰ってるわけでもないので、俺と一緒で大したウデの持ち主ではない。
だが、お互いまだまだの部分があるが、それでも力を合わせて前向きに活動していけたら、何かしら道が開ける可能性を手繰り寄せることができるのではないかと思い、そのバンド活動はスタートした。
オリジナル曲も何曲かストックをためて、ライブも何本かブッキングしてもらったり、それに向けたスタジオ練習なども増えていった。
その進んでいくなかで、違和感ばかりが大きくなっていく感覚があった。
ボーカリストがイメージしているバンドのカラーみたいなものと、俺が思い描いていたものとでは、全く違うものだという印象なのだ。
それだけなら、話し合ってなんとか妥協点や改善点を出し合って、なんとか修正して進んでいけるように努めるのだろうが、、、
高圧的な口調や態度に、我慢をするのがストレスだったり。
「オマエが努力してないなんて思ってないからさ・・・」
的なことを言われたときは、さすがに腹わた煮え繰り返る思いだった。
この時点で、もうすでに波長の合わなさ加減に、正直疲れてしまっていた。
それを凌駕してしまうくらいのボーカリストとしてのスキルやカリスマ性があるのかといえば、申し訳ないが全くなかった。
「コイツの横でギターが弾きたい!」
「この歌と俺のギターでステージ上で切磋琢磨していきたい♪」
とは、到底思える存在ではなかった。
音楽性云々カンヌンではなく、ひととして一緒にいたくなかった。
まぁ、当事者でないひとがこの文章だけ読んでも、分かったような分からんような話だと思うが、、、
波長が合うか合わないかは如実に現れることもあるのだなと思った。
俺にとって、人生のひとつのテーマは“感謝”できるかどうかなのだと思う。
どれだけの“感謝”の思いを還元していけるかで真価が問われるような気がする。
正直なところ、、、
今は、まだこのボーカリストに対して“感謝”の感情は生まれていない。
どちらかというと、
「コイツを倒したい!」
「ギャフンと言わせてやる!!」
という怒りに似た感情を原動力にしているといっていい。
俺のワガママだっていい。
ここまできたら妥協はできない。
波長が合うひととだけ一緒にいよう・・・。
いつになく、とりとめのない話。
Shin