【レジェンドの引き際】岩瀬、荒木、浅尾の黄金期を支えたドラ選手たちが引退


“名古屋メシ”って名古屋でメシ喰ったらそれでOKなのか!?
と考えながら、名古屋出身のひとは愛知県出身とはいわないなとも思っているShinです!

名古屋出身の僕にとって、幼少の頃を過ごした故郷というのは特別な思いのある場所である。
東京に拠点を移してから活動の範囲も広がり、音楽関係のみならず様々な分野の方々との交流も深めてこれた。
身も心もすり減らしながらも、歯を食いしばってなんとかこの大都会で活動してきているという一種の結果が出せた喜びもあって、、、
ショボイのは承知の上だが、いつしか東京に僕の居場所を確立することもできたという実感がある。
しかし、両親や兄弟と過ごした故郷というのはどこに居ても心の拠り所となっていて、どうしたって帰る場所ってことを考えると名古屋という街が最初に出てくる。
名古屋といえば、色々な名産や名物があるが、スポーツでは中日ドラゴンズ名古屋グランパスエイトなどがあげられる。
特に僕は野球を経験していただけあって、中日ドラゴンズには思い入れがあり、よくナイターやテレビ観戦などで応援していた。
東京に出てきてからも、ガキの頃ほどではないが中日ドラゴンズの試合結果などは気になっていたし、情報には目を通していた。
そんな中日ドラゴンズでも好きな選手が2018年シーズンを最後に現役生活にピリオドを打つということで、ちょいと僕の思いを残しておこう。

中日ドラゴンズとの思い出

ガキの頃は、今のナゴヤドームの前身であるナゴヤ球場(現在は二軍の本拠地球場および練習場)にチャリンコで行ける距離に住んでいた。
当時のナゴヤ球場でのプロ野球の試合では、7回になると外野席が無料開放されていた。
僕はちょくちょくその無料開放されたライトスタンド(ホームチームの応援席側)で試合終盤から終了まで観戦していたことがある。
それこそ、ドラゴンズのキャップを被り、応援メガホンと応援バットなどのグッズを持って選手たちの真剣勝負に一喜一憂していた。

まさに当時の応援グッズがこれ!捨てずに持っていらっしゃった方もいたよう!

小学校5年生の頃、担任の先生が野球部の監督だったこともあり、野球部でお世話になることになった。
結局、野球は学生時代続けることになったのだが、それはこの担任の先生に野球を教えてもらったことで続けられたんじゃないかなと思っている。
お世辞にも上手いとはいえず、ハッキリいって下手だったしセンスはゼロだった。
スポーツ全般が苦手だから、当時からプロ野球選手などになれるわけがないと思っていた。
先生が小学生の連中を集めてミーティングしているときに、、、
ふと「プロ野球選手になりたいひと!?」って質問をして、僕は手をあげなかった記憶がある。
変な話かもしれないが、僕にとて野球というのはその担任の先生が好きで始めたことにすぎなかった。
その後の中・高校生の間も、特にやりたいことなどなく、勉強をしない言い訳にも使えていたというのもあり、体を動かす運動の一貫として野球部に入り日々練習していた。
まぁでも、多少ルールが分かるし面白みや醍醐味というのも感じられるようになっていけばいくほど、野球観戦が楽しくなっていく。
一番最初に中日ドラゴンズの応援にハマるようになったのは、故・星野仙一監督時代だ。
星野監督が就任して、当時ロッテオリオンズで三冠王を3度も獲得している落合博満選手がトレードで移籍してきた頃。
1988年のリーグ優勝で名古屋の街が盛り上がったのも覚えている。
中日ドラゴンズファンとしての月日は流れ、1996年10月6日のナゴヤ球場ラストゲームとなった対巨人との試合も内野席で観戦した。
巨人に撒けてしまい、当時は本当に悔しくて眠れなかったのを覚えている。

ナゴヤドーム時代 黄金期到来

1997年から本拠地をナゴヤドームに移して中日ドラゴンズの新しい時代がスタートした。
ナゴヤドームになってからも、年間数試合の応援に行ったし、行った試合はたいてい勝利していた。
ナゴヤドームの星野監督時代に入団したのが、福留孝介・岩瀬仁紀・荒木雅博の3選手。
特に福留選手と荒木選手の2人は同い年ということもあって、ひいきにしていた選手だった。
岩瀬投手の伝説はここから始まっていて、その時代を見てこれたという意味では本当に幸せな気持ちだし感謝している。
2004年から落合博満監督が就任した。
あのガキの頃、最初に中日ドラゴンズの応援に夢中だった頃に4番バッターを打っていた落合選手が監督としてまたドラゴンズのユニフォームを着てくれるということがとても嬉しかった。
個人的にも落合さんの考え方や生き方というものには共感する部分があったので、どんな野球をやるのかが楽しみだった。
もうご存知の通り、落合監督になってからの中日ドラゴンズは8年間でリーグ優勝4回・日本一1回、Bクラスになったことは一度もないという成績。
同い年の福留・荒木の両選手はチームにはなくてはならない主軸選手となり、優勝や日本一にも貢献してくれた。
セットアッパーとしての地位をすでに確立していた岩瀬投手は、落合監督就任と同時にリリーフとなり、そこからも素晴らしい活躍を見せてくれていた。

福留孝介

首位打者2回、外野守備にも定評のあった実力と人気を兼ね備えたスター選手

荒木雅博

落合ドラゴンズの象徴ともいえる、アライバの二遊間コンビは最強。

岩瀬仁紀

15年連続50試合登板、通算1,000試合登板も達成している鉄腕。

浅尾拓也

落合監督時代の2006年のドラフト3巡目で入団したのが浅尾拓也投手。
浅尾投手の活躍も素晴らしくて、この黄金期を支えた原動力となったひとりだった。

中継ぎ投手として、2011年リーグMVPを獲得して連覇に大きく貢献。

中日ドラゴンズ黄金期を支えてくれたみなさん、感動をありがとう!

2018年シーズンをもって、岩瀬・荒木・浅尾の3選手が引退することになった。
本当に野球を楽しませてくれたし、強い中日ドラゴンズを見せてくれたし、何よりも努力は自分を裏切らないということをプレースタイルで証明してくれた。
いわゆる全盛期の華々しい活躍を知っているだけに、グラウンドでプレーする姿がもう見られないことの寂しさはあるけども…
この姿を受け継いでくれる選手が出てくることは間違いない。
やはりいいお手本は見ておくべきだし、一流には触れておくことが、人間としての教養を積み重ねることにも繋がってくれると思う。

黄金リレーの岩瀬投手への中継ぎとしての浅尾投手の引退登板。

2018年ナゴヤドーム最終戦での荒木選手のセレモニーでは、対戦相手の同い年で元同僚の阪神・福留選手から花束贈呈。

レジェンド岩瀬投手も敵味方関係なく華々しい最後。

岩瀬投手を労う会には福留選手なども参加していて素敵!

新しい時代へ

中日ドラゴンズの引退する3選手のことでここまでツラツラと書いてきたが、2018年は昭和最後の年ということもあり、色々なことに幕が降ろされ新しい時代への転換期となるようなことが起きている。
いつの時代も人材が時を動かし人々の心を揺さぶり続けてきた。
これからはAIやロボットと共存共栄していく時代となり、人間のあり方や生き方も大きく変わっていく。
スポーツ界や芸能界ばかりではなく、僕の周りでも環境を変えて新しいスタートをきると決断したひとたちもいる。
それぞれに、時代と同時に自分自身の人生のひとつの節目となる年なのかもしれないと感じているのではないだろうか。

いずれにしても、今年引退する3選手お疲れさまでした!
そして、本当に多くの感動をありがとうございました!!

 

 

Shin(@super_skrock)

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